パリス (バンド)
パリス | |
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出身地 | アメリカ合衆国 |
ジャンル | ハード・ロック、ポップ・ロック |
活動期間 | 1975年 - 1977年 |
レーベル | キャピトル・レコード |
旧メンバー |
ボブ・ウェルチ グレン・コーニック トム・ムーニー ハント・セールス |
パリス(Paris)は、アメリカ合衆国のパワー・トリオのロック・バンド。元フリートウッド・マックのボブ・ウェルチによって1975年に結成され、ロサンゼルスを中心に活動した。本国では殆ど無名のまま短命に終わったが、日本での人気・知名度は比較的高い[注釈 1]。
来歴
[編集]1974年12月、ウェルチはフリートウッド・マックを脱退して、自分が参加した最後のアルバムとなった『クリスタルの謎』のエンジニアの一人だったジミー・ロビンソンと共に、よりハード・ロック的なアルバムを製作しようと考えた。ジェスロ・タルのオリジナル・メンバーで脱退後にワイルド・ターキー[1]を結成して活動していたグレン・コーニック(ベース)を迎え、約1年間企画を練った上、元ナッズ[注釈 2]のトム・ムーニー[2](ドラム)を迎えてトリオを結成。彼等はコーニックがデザインしたロゴが印象的なファースト・アルバム『パリス・デビュー!!』(1976年)を発表する。
レコーディングだけに参加したムーニーの後任にハント・セールスを迎え、ロサンゼルス・エリアを中心に全米各地でライブを行う。彼等は殆ど無名で、ロングビーチ・アリーナなどの大会場では前座を務めた。続いて前作よりポップス寄りで曲調もバラエティに富んだ『パリス・セカンド - ビッグ・タウン2061』(1976年)を発表。セールスは前作を下回った。ウェルチは後に「(パリスは)完全に準備不足だった」と述べている。
ウェルチは3枚目のアルバムの製作に取り掛かった。セールスが顔面麻痺を病み、コーニックが音楽から身を引いて食品会社のマネージャーになってしまったので、ほとんど一人で製作を進めた。彼の構想はギターを中心にしたロックとポップスの融合で、これに好感触を示したレコード会社がソロ名義の製作を提案した。その結果、初のソロ・アルバム『フレンチ・キッス』(1977年)が発表された。
メンバーのその後
[編集]ウェルチは『フレンチ・キッス』で注目を集め、ソロで活動を続ける。2012年、自殺。
コーニックはイギリスに戻った後、1995年、ワイルド・ターキーを再結成。2014年、病没。
セールスはデヴィッド・ボウイ率いるティン・マシーンに参加した。
ディスコグラフィ
[編集]スタジオ・アルバム
[編集]- 『パリス・デビュー!!』 - Paris (1976年)
- 曲目
- ブラック・ブック - "Black Book"
- レリジョン - "Religion"
- スターケイジ - "Starcage"
- 美しき若者達 - "Beautiful Youth"
- ナザレ人 - "Nazarene"
- 狭き門 - "Narrow Gate (La Porte Etroite)"
- ソリテアー - "Solitaire"
- ブックレス - "Breathless"
- ロック・オブ・エイジス - "Rock of Ages"
- レッド・レイン - "Red Rain"
- 『パリス・セカンド - ビッグ・タウン2061』 - Big Towne, 2061 (1976年)
- 曲目
- ブルー・ロビン - "Blue Robin"
- ビッグ・タウン2061 - "Big Towne, 2061"
- 青ざめた馬乗り - "Pale Horse, Pale Rider"
- ニュー・オリンズ - "New Orleans"
- アウトロー・ゲーム - "Outlaw Game"
- マネー・ラブ - "Money Love"
- ハート・オブ・ストーン - "Heart of Stone"
- 奴隷商人 - "Slave Trader"
- ワン・イン・テン - "1 in 10"
- ジャニー - "Janie"