コンテンツにスキップ

パリス (バンド)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
パリス
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ジャンル ハード・ロックポップ・ロック
活動期間 1975年 - 1977年
レーベル キャピトル・レコード
旧メンバー ボブ・ウェルチ
グレン・コーニック
トム・ムーニー
ハント・セールス

パリスParis)は、アメリカ合衆国のパワー・トリオのロック・バンド。元フリートウッド・マックボブ・ウェルチによって1975年に結成され、ロサンゼルスを中心に活動した。本国では殆ど無名のまま短命に終わったが、日本での人気・知名度は比較的高い[注釈 1]

来歴

[編集]

1974年12月、ウェルチはフリートウッド・マックを脱退して、自分が参加した最後のアルバムとなった『クリスタルの謎』のエンジニアの一人だったジミー・ロビンソンと共に、よりハード・ロック的なアルバムを製作しようと考えた。ジェスロ・タルのオリジナル・メンバーで脱退後にワイルド・ターキー[1]を結成して活動していたグレン・コーニック(ベース)を迎え、約1年間企画を練った上、元ナッズ[注釈 2]のトム・ムーニー[2](ドラム)を迎えてトリオを結成。彼等はコーニックがデザインしたロゴが印象的なファースト・アルバム『パリス・デビュー!!』(1976年)を発表する。

レコーディングだけに参加したムーニーの後任にハント・セールスを迎え、ロサンゼルス・エリアを中心に全米各地でライブを行う。彼等は殆ど無名で、ロングビーチ・アリーナなどの大会場では前座を務めた。続いて前作よりポップス寄りで曲調もバラエティに富んだ『パリス・セカンド - ビッグ・タウン2061』(1976年)を発表。セールスは前作を下回った。ウェルチは後に「(パリスは)完全に準備不足だった」と述べている。

ウェルチは3枚目のアルバムの製作に取り掛かった。セールスが顔面麻痺を病み、コーニックが音楽から身を引いて食品会社のマネージャーになってしまったので、ほとんど一人で製作を進めた。彼の構想はギターを中心にしたロックとポップスの融合で、これに好感触を示したレコード会社がソロ名義の製作を提案した。その結果、初のソロ・アルバム『フレンチ・キッス』(1977年)が発表された。

メンバーのその後

[編集]

ウェルチは『フレンチ・キッス』で注目を集め、ソロで活動を続ける。2012年、自殺。

コーニックはイギリスに戻った後、1995年、ワイルド・ターキーを再結成。2014年、病没。

セールスはデヴィッド・ボウイ率いるティン・マシーンに参加した。

ディスコグラフィ

[編集]

スタジオ・アルバム

[編集]
  • 『パリス・デビュー!!』 - Paris (1976年)
曲目
  1. ブラック・ブック - "Black Book"
  2. レリジョン - "Religion"
  3. スターケイジ - "Starcage"
  4. 美しき若者達 - "Beautiful Youth"
  5. ナザレ人 - "Nazarene"
  6. 狭き門 - "Narrow Gate (La Porte Etroite)"
  7. ソリテアー - "Solitaire"
  8. ブックレス - "Breathless"
  9. ロック・オブ・エイジス - "Rock of Ages"
  10. レッド・レイン - "Red Rain"
  • 『パリス・セカンド - ビッグ・タウン2061』 - Big Towne, 2061 (1976年)
曲目
  1. ブルー・ロビン - "Blue Robin"
  2. ビッグ・タウン2061 - "Big Towne, 2061"
  3. 青ざめた馬乗り - "Pale Horse, Pale Rider"
  4. ニュー・オリンズ - "New Orleans"
  5. アウトロー・ゲーム - "Outlaw Game"
  6. マネー・ラブ - "Money Love"
  7. ハート・オブ・ストーン - "Heart of Stone"
  8. 奴隷商人 - "Slave Trader"
  9. ワン・イン・テン - "1 in 10"
  10. ジャニー - "Janie"

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 音楽評論家の渋谷陽一の影響力と言われている。
  2. ^ トッド・ラングレンの初期のバンドである。

出典

[編集]
  1. ^ Discogs”. 2024年6月9日閲覧。
  2. ^ Discogs”. 2024年6月9日閲覧。

外部リンク

[編集]